「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる巣鴨地蔵通り
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「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる巣鴨地蔵通りは、旧中山道であり、江戸の中期から現在にいたるまで、商業や信仰の場として栄えてきました。
明治24年には「とげぬき地蔵尊 高岩寺」が上野から巣鴨へ移転し、現在、巣鴨地蔵通りは「とげぬき地蔵尊」と「江戸六地蔵尊」の2つのお地蔵様と巣鴨庚申塚に守られて、商業の街・信仰の街としてお年寄りを中心に若い方々にも親しまれています。
近隣には、回遊式築山泉水庭園で国の名勝に指定された「六義園」鹿鳴館、ニコライ堂なども手がけた英国人ジョサイア・コンドル博士が設計した「旧古河庭園」や著名人が多く眠る「染井霊園」等がある。
洗い観音
江戸時代最大の火事であった「明暦の大火」で、当寺の檀徒の一人「屋根屋喜平次」は妻をなくし、その供養のため、「聖観世音菩薩」を高岩寺に寄進しました。 この聖観世音菩薩像に水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るという信仰がいつしかうまれました。これが「洗い観音」の起源です。
その後、永年に渡ってタワシで洗っていた聖観世音菩薩の顔などもしだいにすりへってきたので、平成4年11月27日、この仏像にご隠退をいただき、あたらしい聖観世音菩薩の開眼式を執行した。
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巣鴨庚申塚は江戸時代中山道の立場として栄え、旅人の休憩所として簡単な茶店もあり、人足や馬の世話もしていました。庚申塚は広重の浮世絵にも描かれています。現在は庚申堂に猿田彦大神を合祀しています。猿田彦大神とは日本神話に登場する神様です。天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり道祖神と同一視されました。
巣鴨地蔵通り商店街 http://sugamo.or.jp/